岐阜県内には42の市町村がある。それぞれ歴史的な経緯をたどって今の市町村名になったわけだが、偶然か縁があってか、県外でも同じ地名を見かけることがある。どんな由来があるのだろう。どこにでもありそうな地名だけでなく、本来なさそうな「岐阜」もある。背景にあるのは県民の歴史とのつながりだった。
まずは、全国の地名と読み方が一覧になった日本郵便の郵便番号データを検索だ。先に県外になかった地名から。多治見、瑞浪、恵那、美濃加茂、土岐、各務原、可児、本巣、下呂、関ケ原、輪之内、安八、揖斐川、坂祝、富加、七宗、八百津、東白川、御嵩。東白川は郡名ならあり、美濃加茂も「加茂」に限れば複数あった。それ以外は県外にある。岐阜もある。織田信長が命名したのでは? と疑いたくなるほどだ。
主なところでは、大野や池田は福井県の大野市や池田町をはじめとして複数ある。高山も長野県と群馬県に高山村がある。大垣、北方、中津川、川辺、白川といった地名は、字名に多く見られる。山県は長崎県佐世保市に山県町、郡上は滋賀県長浜市に小谷郡上町があった。
意外なのが、笠松、岐南、垂井だ。三重県松阪市笠松町、山口県周南市岐南町、兵庫県小野市垂井町とある。「角川日本地名大辞典」で由来を調べると、三重の笠松町が地元の神社に傘形の松があったから。山口の岐南町は詳しく書かれていないが地図を見ると「岐山」の名が付く学校や公園が見られるので、それが由来だろう。兵庫の垂井町は湧き水が多い地区といい、県内の垂井と由来が似ている。
さて神戸。兵庫県神戸市をはじめ、愛知県一宮市神戸町、名古屋市熱田区神戸町、横浜市保土ケ谷区神戸町などがある。だが、よく見ると読み方がそれぞれ違う。もちろん兵庫の神戸は「こうべ」、県内と名古屋と横浜は「ごうど」、一宮は「かんべ」。さらに「じんご」や「かのと」と読む地区もある。神社由来の地名が多いようだ。
旧国名でもある美濃と飛騨も各地にある。岡山県津山市美濃町は1603年に美濃国出身の森忠政が津山藩主として入り、美濃から大工を連れてきたのが始まりという。京都市下京区美濃屋町は、江戸前期に町を開発したのが美濃屋源右衛門という人物。奈良県橿原市飛騨町は、飛鳥時代に藤原京造営のため飛騨国から招集された木工集団「飛騨匠(ひだのたくみ)」が住んだと伝わる。富山県の黒部市飛騨と南砺市飛騨屋は、飛騨国出身者が開拓したという説が有力そうだ。
そして岐阜。実は北海道にある。岩見沢市栗沢町岐阜、北見市常呂町岐阜、南富良野町幾寅岐阜。いずれも明治期に岐阜県から開拓者が入った地区だ。ちなみに養老も全国各地に見られるが、北海道浦幌町にも養老がある。ここも開拓が起源で「故郷の養老の滝にちなんで名付けた」という。同じく中標津町には「養老牛(ようろううし)」という地名も。アイヌ語で水に漬けるという意味の「イオロウシ」などに由来するらしい。
北海道の岐阜に住む人は、今も”故郷”の岐阜県を意識しているのだろうか。電話帳には北見市の岐阜に「不破」の名字。電話口で不破利和さん(72)が「一度だけ母方の本家を訪れたことがあるが、つながりが消えかけている。元々、遠方で開拓移民は故郷に帰れず、付き合いが深くなかったのも背景」と話す。
窓からオホーツク海が見えるという自宅。曽祖父の時代に北海道へ。父方は現本巣市、母方は現揖斐郡大野町からだった。祖父からは「岐阜県には不破郡があり、不破という名字の人も多い」と聞いていた。
岐阜県から北海道の子孫への電話。岐阜という地名を残していてくれたからこそ話せたと伝えると、なんだかうれしそうで誇らしそうだった。各地に残る「地名」。それは、その土地の歴史を今に伝えるタイムカプセルなのだ。
岐阜新聞 2021年07月12日 08:49
https://www.gifu-np.co.jp/news/20210712/20210712-86339.html
引用元: ・【岐阜】織田信長が名付けたとされる「岐阜」が県外にも 県内からの移住が背景 [坊主★]
今の岐阜市には見るものはない
飛騨は別
というか全国にあると言ったら西日本発祥の地名が大半を占めるだろ 銀座とか東京発祥の顔してるけど関西発祥だし 八幡とか九州からだしな 北海道は開拓地だから多いのは当たり前だし むしろない県の方がないのでは?
鎌倉幕府由来の地名数を舐めているようだな
>>1
岐阜
周の文王「岐山」より起り天下を定む
孔子の誕生地「曲阜」
縄文平和文明は1万3千年間も続いていたとは驚きだ!
どんな意味が
阜偏、野阜
え、全く読めない。見たこともない(;_;)
>>4
阜偏: こざとへん、漢字の部首のこざとへんね
野阜: のづかさ、野原の中の小高い丘
調べたら、他にもあったよ。中国の地名が多かったけど…
阜(つかさ): 小高いところ
野山阜(のやまつかさ): 野山の一段と高い所
阜垤(ふてつ): 小高い丘
阜陵(ふりょう): 小高い丘
丘阜(きゅうふ): 小山、盛り土
阜財(ふざい): 財物をゆたかにする。ゆたかな財物。
阜康(ふこう): ゆたかで安らか
阜螽(ふしゅう): いなご。稲虫。
阜成(ふせい): さかんにする。また、豊かに大きくなる。
陰阜(いんぷ): 恥丘
クイズ番組で覚えた
難読の上位に入るらしい
クイズ番組で紹介される度に難読上位が入れ替わりそうだな
信長ブランドは永遠に輝きつづけるからだろうが、県都岐阜市のロゴが信長以前に逆戻って旧名・井ノ口の[井]なのがわからん
>>11
明治初めの時点では、信長ブランドというものはなかったと思う
江戸時代に天下人と言えば、豊臣秀吉と徳川家康の2人で、
織田信長は、豊臣秀吉が若い頃仕えていた人、みたいな扱いだったみたい
織田家が、近世大名としてはかなり小藩or旗本で、
積極的な宣伝活動ができなかった影響もあるだろうな
ちょっと信じがたいな
天下餅の詩とか江戸時代からあるんじゃねーかなあ
特に江戸時代は豊臣を貶めて織田を持ち上げてたハズだと思うのだが・・
家康は織田の人質だったし、織田家に対してはネガキャンしてそうだが、どうだろう。
>>27
家康は、個人的には信長に対して、あまり良い印象を抱いていなかったらしい
実質従属的な同盟で、手伝い戦に駆り出されることが多かったし
長男の件も影響したのかも知れない
それが江戸時代の織田家冷遇に繋がったのではないかと
逆に、豊臣秀吉は、淀殿に代表されるように、織田家一族の女性を多く側室にしたのは、
できることなら、織田家の血を引く後継者が欲しかったから
豊臣政権下では、旧織田家家臣の有力大名が多かったので、
織田一門化した方が、好感を持たれて、政権の安定化に繋がるという考えがあったと思われる
信長は選んだだけ
蝮(まむし蛇)の道三こと 斎藤道三の娘
岐阜城主よ
岐阜県公式HPより そのまんま
岐阜の由来. 「岐阜」の地名は、稲葉山に居城を移した織田信長が、尾張の政秀寺の禅僧である沢彦宗恩(たくげんそうおん)が進言した「岐山・岐陽・岐阜」の3つのうちから選んだものといわれています。. 沢彦和尚は、中国の「周の文王、岐山より起り、天下を定む」という故事にならってこれらの地名を考えたといい、天下統一を目指す信長は「岐阜」の名称を選んで、稲葉山城下付近の「井口(いのくち)」を「岐阜」に改めたといいます。. (「安土創業録」から). なお、「岐阜」という地名は、信長が名づける以前から禅僧の間で使われていたとも言われ、その由来には諸説があります。
岐山とか岐阜由来ではない
ばあちゃんの母親は嫁いでて子供もいたので免れた。
数年前、ばあちゃんが亡くなったときに遺品の中からいとこ会の名簿が出てきたわ。
確か湧別のあたりだった記憶。
ぜったい書きづらい
潟より書きづらいはず
山県昌景の子孫が地主だからが有力。